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執筆者の写真Takeshi Sekine

なぜか、社員を縛ってしまう社内ルール

 企業規模に限らず、会社にはたくさんのルール・規定がありますよね?

それらのルールは、効率化・生産性向上を目指して作られているハズが、なぜか生産性を逆に下げてしまう事になりかねない。今回は、こういった現象を回避するポイントについてです。


社員を縛ってしまう社内ルール
社員を縛ってしまう社内ルール



”自主性の尊重?”

 今まで何人かの社長さんから「社員の自主性を尊重している」という言葉を聞いたことがあります。しかし、私の目から見ると決して社員の皆さんは、自由に働けているとは思えず、意味不明な社内規定によって縛られている光景を目にします。


こんな例もあります。上司が部下に「お前の好きなように、思いっきりやってくれ」と言いながらも、部下がその言葉通り自由に思いっきりやり始めるとどうなるか。。。


「なんで、相談にこないんだ?ホウレンソウってものがあるだろう!」と言い出す。

こうなっちゃうと、社員は一気にモチベが下がり、会社を辞めてしまうかもしれません。


これ、先代とアトツギの間でもよくある会話ですよね?



会社だけでなく学校でも同じことがありまして、例えば「自由闊達な校風」なんて標榜している学校でも、校則がガチガチで自由な校風とは対極にある校風だったりなんてことはよくある話です。


さて、本当に自由に生き生きと社員が働く会社、組織とはどんな環境なんでしょうか?

その会社の経営者は、どのように考えて、どのように行動しているでしょうか?



問題の原因を考える上でヒントとなるが、ルールが誰のために作られているのか?

という事。言い換えるなら「主語が誰か?」ということです。





効率化・生産性向上という罠

 確かに。生産性向上、効率化は企業にとって重要なテーマであり、これが出来ていないと原価が上がってしまい、利益が減ります。また、仕事を受け入れるキャパシティの問題も大きく、1人1人の効率が上がれば組織全体としてのキャパシティは高くなるんですよね。


理論的にはね。


でも、少し考えてみてください。仕事のやり方について、事細かにルールがあったとしたら本当に効率的だと思います?


経営者の影響力が強いというか、マイクロ・マネジメントをついやってしまう経営者の会社では、極端な例を挙げれば鉛筆一本買うのにも社長決裁がいる。先日もプライム上場の金融機関で働く方に聞いた話ですが、本体以外に子会社が600社もあるような大会社でありながら、5,000円以上の接待はトップの承認がないとできないので、みんな自腹でやっていると。


これって、どうなんでしょう?


効率化というよりは、社員が「迷わないように」「考えなくて済むように」「機械的に仕事できるように」という発想になっていると思いませんか?また、トップは性悪説で社員を見ている可能性もあります。



<こんな場面をイメージしてください>

あなたが、あるお店で商品を購入したが、持ち帰ってみたら期待したような商品ではなかった。後日、返品をしたいとお店に出向いたら店員さんが「当社の規定では返品をお受け致しかねます」と返答したと。では、店長を呼んできてください。。。

店長が出てきて、本部への確認・許可の取りつけなどで30分くらいの押し問答の末、ようやく返品・返金に応じてくれたとします。もう一度、このお店で買い物したいと思います?


これが、生産性を高める社内規定になっていると思います?


<今度は人事評価制度です>

コンサルタントが入り、綿密な制度設計を行った結果、立派な人事評価制度が出来上がりましたと。確かに透明性があり、客観的でシステマチックに評価が行えるのです。

しかし、この制度を導入したことで部下と上司の対話が減ったり、評価に対する部下の納得度が低下するということはよくある話です。


<学校教育も然り>

私が高校生だった当時、公立高校だったのですが、地域一の進学校で制服はなく、かなり自由な学校でした。一方、近隣の普通高校、工業高等学校、商業高等学校では校則が厳しく、なんでこんなに違うんだろうと思ったものです。


おそらくですが、これって私が通った学校は優秀な生徒が多いので、おかしなことはやらないだろうという性善説で私服登校が許されていたんじゃないかなと思います。周囲の学校はその反対で、性悪説で校則が出来ちゃっている。




なぜ、このような事が起きるのか?

 前述しましたが、主語を考えてみてください。


顧客対応の例で考えますと、本来であれば主語は「お客様」であるべきですが、実際には主語が「会社」になっている。

人事評価の場合であれば、主語が「社員」であるべきなのに、実際は「会社・あるいは管理部門・人事部門」になっている。


という見方も可能ではないでしょうか?

多くの会社が、制度を設計する上でいつのまにか「主語」を間違えてしまうのです。


その結果、生産性向上を狙った制度が、逆に生産性を下げてしまう悲劇を引き起こす。

つまり、主語を見誤ることによって、このような問題が起きてしまうのではないかと思います。




業績の良い会社の特徴

 業績の良い会社では、社内ルールに関してはプリミティブな事しか定めていない会社も多いと思います。


例えば、部門や職位・役職ごとに期待する成果(=ゴール)などは決めるが、そのやり方については一切問わない。


また、役職者の上下に関わらず、権限を委譲された人に対して上から命令を出す、余計な口を出すような事はしない。その代わり責任もって期待された成果を達成してもらう。

こんなイメージです。


誰が何を知っているか?これ会社の上層部がちゃんと理解してる会社であれば、思い切った権限移譲ができるのだと思います。それをわかっていない会社(経営者)は、間違いや事故が起きないようにガチガチのルールを作り、結果として顧客満足度や生産性を犠牲にするのです。



まとめ

 散漫な文章となってしまいましたが、もし、あなたが会社を「自由闊達な社風」「自主性を重んじる社風」へ本気で変えたいと思うなら、

まずはルールを決める前に、

1:社内で誰が何を一番わかっているのか?

2:わかっている人にどんな結果を出して欲しいのか?

3:結果を出すためには、社員へどのような権限を委譲するのがベストか?

考えてみてください。


・リスク回避のルールになっていないか?

・管理側の都合がいいようなルールになっていないか?

もチェックしてください。



極論言いますと、これだけで良いと思います。

やり方は、すべて任せると。その代わり、例えば年間の粗利で〇〇%、売上〇〇億以上、みたいな重要指標を決めて、あとは任せきる。


これで出来ると私は思います。私も過去に同じような考え方で社員に仕事をしてもらうようにやっていたつもりですが、今思い返すと、リスク回避の規則も多く、まだまだ権限委譲が十分ではなかったと思います。


今であれば、ルールを私が作るのではなく現場の社員から作ってもらうと思いますし、

思い切り権限移譲していくと思います。大事なことは、やり方ではなく成果目標の握りです。


また、ただ任せるだけでは放任ということになるので、明確なゴール設定と移譲する権限の範囲(=自由にやってい良い範囲)などははっきりしてあげて、必要に応じて上司へ相談できる関係性も重要ですし、ベストプラクティスの共有は絶対に必要です。それがちゃんとできていれば、社員は自然と上手くやっている人のマネをしていきます。


何か社内で広げたいのであれば、ベストプラクティスとして情報を共有し、それぞれの社員が自分の意志で真似ていく、取り入れていくという方法もあるのではないかと思います。


どうでしょうか?

今まで経営のベストプラクティスとして社内ルールがガチガチの会社を雑誌やインターネットで見たことありますか?


ないですよね。例えば、アメーバ経営の京セラ、カンパニー制を上手く取り入れているリクルート、現場スタッフにお客様のために使えるお金の権限を渡しているリッツカールトン、ユニークな個店経営で知られるドン・キホーテなど。


これらの会社は、社員への権限移譲が相当に浸透している会社です。

その対極にあるのが、コンビニチェーンだと思います。全てマニュアルで定義されている。

これは1つの戦略であり、業種や職種によってオペレーションを統一した方がより多くの利益を稼ぎ出せる場合もあると思います。


企業にとって、株主にとっての目的は、なんだかんだ言っても利益を稼ぐことです。

その稼ぎ方をどうするか?という話なので、どっちが正しいという議論ではないのです。


その会社にとって、やりやすい方法を選べばよいだけなのですが、既に述べたように誰のための、何のためのルールなのか?


これを見誤らないことが肝要です。




以上、ランナーズ関根でした。
















 


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