代表者プロフィール概要
こんにちは。代表の関根 壮至(せきね たけし)と申します。
私は今でこそ経営人材育成やコンサルティング業務などを行っていますが、元々は中小企業の経営者でした。大学卒業後、通信・IT業界で10年弱のサラリーマン生活を経て、家業である会社を後継者として引き継ぎました。
父が約55年ほど前に新潟県で会社を設立し、その会社を後継者として継いでいます。
中小企業ではありましたが、私が社長に就任した時点では年商60億、社員数360名を超える規模の会社で全国に複数拠点を構える水道事業関連の製造業・工事業の会社でした。
これだけの規模の会社を二代目社長として承継することは、並大抵のことではありませんでした。
現在は、中小・中堅企業の後継者・経営幹部候補の育成に注力しています。
それには、以下のような経緯がありました。
あまりにも辛い事業承継の経験
私は家業に入社してから13年目で代表取締役社長に就任していますが、それまでは苦難の連続でした。入社当初は営業担当役員として組織を率いて仕事をしていましたが、ある時、
社長である父が本業とは全く関連性のないホテル事業を買収します。
もともと公営で経営された巨大な施設であり、業績不振の末に民間へ払下げられた事業でした。
毎年のように巨額の赤字を垂れ流す問題事業であり、私はこの事業の経営再建担当として送り込まれます。
それまでホテル業はおろかサービス業でのビジネス経験が一切なく、私はたった一人で経営再建を果たすため難題に取組んでいました。
当時は、会計の知識も全くなく社員の心を掴む術も知りませんでした。つまり、経営のド素人として大きな難題に挑んでいたことになります。
3年間くらいは全く業績が上向かず、暗中模索の状態でした。当時は本社の副社長という立場ではありましたが、役員会では徐々に立場が悪くなっていきます。
毎日のように強烈なプレッシャーに襲われ、とうとう私は心の病を抱えるまで弱っていきます。3ヶ月くらいは職場に出ることもできず、辛い日々を過ごしていましたが、私が諦めてしまっては経営再建は果たせず、本社の社員にもそのしわ寄せがいきます。
そんな気持ちを抱きながら、3か月間が経過した後、何とか職場復帰を果たします。しかし、体はボロボロの状態でしたし、社員との関係性も悪く孤立しているような状態でした。
そんなとき、ホテルスタッフの1人が私に声をかけてくれたんですね。
「あなたがこれまでやってきたことを見ていたよ」「これからは助けるからねと」
この声をかけてくれた人は、役職者ではありませんでしたが、いわゆる現場のボスだったんですね。そのボスが、私に協力する態度を示したことから、他の社員も徐々に私に声をかけてくれるようになり、社員と打ち解け合うようになっていきます。
その後、業績は回復していきました。
この経験で学んだことは、
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後継者だからといって何でも自分でやる必要はない
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出来ない事は無理だと表明しても良い
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人に助けてもらう事は、何ら恥じることではない
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ホテル業の商品は、サービスを提供する従業員そのもである
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社長は、社員が笑顔で気持ちよく働ける環境を作ることが最も重要な仕事だ
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肩肘はらずに、自然体で過ごすことが大切
心の病に侵されるまでの苦難を経験しましたが、この経験によって私は経営者として大切なことを多く学びました。会計スキル、人を動かすスキル、戦略を立て実行するスキル、すべてはここでの経験から体得したスキルでした。
ホテルの業績も改善し、父から本社へ戻るように指示され、復帰した翌年には二代目社長に就任しています。就任後は、会社の問題点を1つ1つ解決していきながら順調に業績を伸ばしていきました。
そして3期目を迎えたある日、事件が起きます!
ある日の取締役会で、私を社長の座から降ろす緊急動議が出されて解職されてしまうのです。
社長としての職務は真面目に行い、社員との絆も深まり順風満帆の日々を過ごしていましたが、親族内のお家騒動が勃発し、私は会社を去らざる得ない事態になったのです。
志半ばでの退任となりましたが、私にはこの苦難は天命だと思うところがありました。
私は、社長になるまで父から経営者としての教育指導を殆ど受けていませんでした。
前述したように大変な苦労を経験しながら、私は社長に必要な技能を体得していったんですね。
おそらく、自分だけでなく経営者を目指す多くの後継者も私と同じような苦労をしているのではないかと。
であるならば、自分がこれまで大変な苦労の末に体得した知識やスキルを活用して後継者や経営者を目指す人たちの役に立つ事業に挑戦していこうという気持ちが湧き上がってきました。
実は、こんな思い、背景があって経営人材の育成に取り組むようになった経緯があります。
経営人材育成に賭ける思い
社長交代まで時間的猶予が十分にある20代の方であれば、私のような苦労も無駄ではないと思いますが、現社長がご高齢であったり、経営状況が厳しい企業であれば社長交代までの時間的余裕があるケースは少ないはずです。
後継者の心境としても、このまま状況が変わらなければ現社長がいつ交代を切り出すか先が読めず、ますます不安が増えることになりかねません。
状況を変えるには、後継者自身が変わるしかありません。
経営に関する学習で大切なことは教科書的な一般論の学びではなく、自身が抱えるリアルな業務上の課題や経営課題への取組、そして自社の決算情報を利用した実戦的な分析や実態把握を行う事です。
そのような方法で学習した場合、学んだ内容がそのまま課題解決策になることもあり、即効性、実用性を伴う学習効果が得られ「学んだ・成長した」という実感を得られることが期待できます。
経営スキルを学ぶ方法は、セミナーや専門書の読書以外にもMBAに通い学位を取得する。あるいは、中小企業診断士のような資格を取得するといった手段もあります。
欧米経営者の場合、後継者時代から経営指導を行うコーチ・メンターなどの専門家を莫大な報酬で雇い経営スキルを学んだりしています。
事実、私自身も年間200万円以上の学費を支払いMBAの学位を取得していますし、中小企業診断士の資格も1,500時間以上の自己学習に加え、オンライン講座を受講して資格を取得しています。
いずれも有益な学びがありましたが、1人の経営者として経営実務を考えた場合、即活用できるスキルが得られたかというと疑問が残りました。
ここまで高額な学費に加えて、自分の時間を消費して学位や資格を取得する必要が本当にあるのだろうか?
コストパフォーマンスに優れ、日々の経営業務で即役立つ実践的な教育プログラムが後継者には絶対に必要だと考えていました。
そこで、私は後継者の悩みを解決できる経営人材育成プログラムを開発しました。それが「後継者のための実践経営スキルマスター」です。
このプログラムは、私自身が多くの失敗から学んだ「社長就任前までに知っておくべき事、学ぶべき事」を法政大学経営専門職大学院MBAコースに通いながら、学術的な研究を深め体系化した学習プログラムです。
日本の中小企業は全企業数の99%以上を占めます。日本経済を支える重要な存在です。中小企業経営者のスキルを高めることが、ゆくゆくは日本の経済力強化にもつながると考え、日々努力を重ねています。
略歴・プロフィール
氏名
関根 壮至(せきね たけし)
生年月日
1972年4月15日
出身地
新潟県新潟市出身
経歴
1996年
1997年
1999年
2005年
2006年
2010年
2012年
2018年
2020年
2021年
2022年
2022年
2023年
成蹊大学工学部 機械工学科 卒業
電子機器製造会社
株式会社アステル東京 (PHS通信事業者)
マイクロソフト株式会社(Microsoft日本法人)
新聞社・テレビ局・映画・音楽・映画関連等のメディア業界を担当
明和工業株式会社(家業)
常務取締役 営業担当役員
取締役副社長 兼 東京支社長
ホテル・レジャー施設事業の経営再建担当
代表取締役社長 就任
代表取締役会長 就任
ランナーズ株式会社 設立 代表取締役 就任
明和工業株式会社 代表取締役 退任・退社
法政大学ビジネススクール MBA入学
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 経営支援アドバイザー登録
法政大学ビジネススクールMBA(経営修士)修了
法政大学ビジネススクールMBA 特任講師 就任
中小企業診断士登録
東京商工会議所 文京支部 工業分科会評議員 就任
得意な業種
製造業(加工業・メーカー業)・建設業・土建業・IT・流通・サービス業(BtoB)
得意な分野
経営人材育成・原価管理・財務分析・経営戦略・営業支援、事業承継に関する分野
学位・資格
法政大学ビジネススクール MBA 経営修士
中小企業診断士
TOEIC 825点
好きな本
経営者の自伝、建築・デザイン・アート・自動車関連の書籍などが好みです。
趣味
スキー(4歳から)
学生時代は、新潟県妙高市の「池の平スキー場」でインストラクターをしてました。
現在でも毎年14日間くらいは滑っています。
カーモデルの制作(40代から)
子供に作って欲しいとの依頼から始まり、40代でどっぷりハマりました。
これまでに100台くらいは作っていて、本格的な道具も買い揃え作ってます。
今までの作品集はこちら
ドライブ
休みの日には、息子とドライブに出かけたりします。